[過去記事]「審判の難しさ」 〜相互審判の考え方〜




審判は、忠実なルールの番人であるべきか、
ルールはガイドラインに過ぎず、試合の流れや状況に応じて柔軟に判定すべきか。
専門誌でこんな記事を読んだことがある。
どちらが正しいのではなく、状況に応じて両方できなければならないというのが、
わたしの考えだ。

例えば、タイトルのかかった好試合で、選手を退場処分にするのはやはりつらい。
10人に減って一方的になるという残念な思いと、
悪いものは悪いという葛藤の末、苦しみながらイエローカードを出した。
一瞬で判断しなければならないから、なおつらい。

素晴らしい試合にしたいという気持ちは審判も同じ。
しかし、判定基準を大きく曲げるわけにはいかない。
カードに込めたメッセージを理解してもらえるとありがたい。

試合中に選手と言葉を交わすことについては、
あまりすべきではないという意見が日本では根強い。
しかし私の場合は、選手に言葉をかけることも多い。
例えば、いいプレーをした選手に対して、
「いいシュートだった。惜しかったですね」という具合だ。
それはサッカーを愛する人間として自然に出てくるものだ。

ある試合で、コーナーキックかゴールキックの判定に異議を示した選手に対して、
「まぶしくて見えにくいんだよ」と答えたら、
少しあとで「さっきは言い過ぎた。確かに見えにくいね」と返してきたことがあった。
もちろん、審判と選手の間に信頼関係があるから成り立つ話し。
審判も人間だから、選手との相性のよい悪いもある。

反則があった時に取るアドバンテージも、
選手が相手を振りほどいて前に進もうとしていれば、
笛を吹かずにプレーを続けさせたいと思う。
しかし、日本の選手の多くはすぐに倒れて、「反則でしょう」という顔で主審を見る。
観客からは「反則を取れ」とブーイングが審判に向けられる。
イングランドのプレミアリーグで、少しつかまれたくらいですぐに倒れるな、
というブーイングが選手に飛ぶのとは大きく違う。

大げさに言えば、サッカーに対する価値観の変化が先にあって、レフェリングが変わっていく。審判がサッカーを変える事は難しい。
たくましい選手を育てるために笛の多い日本のレフェリングを変えるべきだという議論がある。
我々の工夫も必要だが、まずは選手がプレーを続けようとすることが大切なはずだ。

判定の異議については、海外の試合では、
「私を信じてくれ」というと納得して握手やウインクをしてくる選手が多い。
日本人は一度文句を言い始めると、
いつまでも引きずってプレーに集中できなくなる選手が、まだ多い気がする。 
(朝日新聞記事 「審判の難しさ」より抜粋 スペシャルレフェリー 吉田寿光さん)



上のコメントは、サッカー国際審判の吉田寿光さんの言葉です。
実は、この吉田さん、
ドイツワールドカップアジア最終予選プレーオフのウズベキスタン対バーレーン戦で
歴史的誤審をしてしまった人です。
聞いた話によると、ドイツワールドカップ出場を目指していた6月にケガをしてしまい、
ドイツ本大会への参加を断念せざるを得なかった事で、
この試合には無理やりモチベーションを上げて臨むほど
体力的、精神的にも落ち込み不安定だった状況で、
あの歴史的誤審と言われる事件があったようです
(ただ、これはどちらかというと派遣する管理体制にも問題があったんじゃないでしょうか)。
幸い、ご家族を含め中傷はなく、サッカーファンからは激励の手紙をもらったという話し。
でも、サッカー界の空気は、はれものにさわるなという感じと聞く。
そんな現状、自分のミスはミスとして真摯に受け止め、
こうやって新聞記事として、改めて事実をオープンにしたいとの内容でした。
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ソフトバレーでは、基本的に相互審判制で行なっています。
相互審判ということは、どのチームもどの選手も、
審判ができないと試合は成り立たない、ということなんです。
ソフトバレーを始めた頃、漠然とですが、この考え方はすばらしいな、と思いました。

なぜかというと、今までいろいろスポーツを観たり実際にやったりしてきましたが、
選手が審判をやるという発想が無かったからなんです。
(まあ、ローカルでやっている場合なんかでは、
人数とかの関係でそういう場合もあるでしょう。
でも、結局そのトップレベルになるとそうではなくなっています。)

上の吉田さんの言葉にもあるように、
海外に比べ、日本では、審判に対する尊敬度は低いと感じます。
また、審判に対する要求も多いし目が厳しい。
最近は、海外のスポーツも数多くテレビで見れるようになりましたから、
感じている方も多いのではないでしょうか(まあ、すべてがそうとはいえませんが・・)
サッカー、野球、バレーボールなどの球技に限らず、
輝かしい成績を残した後、指導者に進む人は数多いですが、
審判として名を馳せた人は、あまり聞いた事がありません(知らないだけかも!?)。
私自身も、審判はできればやりたくないと思っている1人でした。

ところが、このソフトバレー、
私も県内や県外遠征の他、全国大会や関東大会など数多く参加してきましたが、
強いと言われるチームや選手ほど審判レベルも高い
(さらに取り組む姿勢や礼儀もきちんと出来ている)、ということを感じます。
(また最近では、ホームページを持つこと、大会を自主的に開くことが
ソフトバレーチームのステータスのようになってきていますね。これも特徴と思います。)

そして、プレーレベルが高い地域やそういうチームが集まる大会では、
審判のレベルも高くなっていることになるので、
個々の1試合1試合もそうですが、大会全体がスムーズに流れ、
参加した選手たちの満足度も高くなる、ということにもつながる気がするんですね。

また、プレーしている時だけがソフトバレーをしている時ではありません。
例えば、大会を無事成功させるためには、
参加した皆さん全員が協力しあって審判をしたり、準備や片付けをしたり、
集合時間や会場のルールを守ったりすることも含まれます。
上手い、と言われる選手が居たとして、
その人がそういったことを想像せずに行動しているとしたら、
それはたぶんすばらしいプレーヤーとは思われない気がします。

選手はプレーだけやればよい、という人が多いのは、
今までの日本のスポーツ文化からして、ある意味仕方の無いことだと思いますが、
このソフトバレーをきっかけに、新しい考え方が少しずつでも広がってくれれば、
いろんなスポーツがもっと楽しくなるのではないかな?と思ったりもします。

審判をやるということは、ルールなどいろんな情報を知識として把握していることはもちろん、
試合をコントロールするコミュニケーション能力が必要になります。
数多く経験を積む事で自信を持ってできることにもつながりますよね。
そういうことがわかるようになると、
自然に「こういう時はこう動いたらいいのか」とか
「あのプレー、今度やってみよう」ということになるのかもしれません。


私が審判をやる時も、吉田さんが言われるように、
状況に応じて対応できなければならないという考えでやっています。
どちらかというと、流れを重視する傾向にあるかもしれません。
多少の反則であれば、流れを優先していると思います
(大会や当該チームのレベルなどに応じ)。

そして、ミスは誰しもあります。
自分でもあるし、逆に人にそうされたこともあります。
時に感情的になってしまうこともあるでしょう。でもそれも人間です。
私が相互審判というのが、なぜいいかと思ったのには、
選手が審判の気持ちを少しでも理解することで、
よりレベルも上がるし、コミュニケーションも深まります。
失敗したからと言って、もうやらない、のではなくて、
勉強して経験を積んで、もっと自信を持って審判をできるようになれば、
よい経験だった、ということになってくるかもしれませんし、
微妙な判定ではなく、だれが見てもあきらかと言われるような
すばらしいプレーをできるように努力をするのかもしれません。

それが、いますぐなのか、何年後になるのかはわかりませんが、
きっとそれが理解できる時が来る気がします。人によって千差万別ですけど。
そうやって、相互にやることで、人の気持ちに気付けるチャンスがあるというのは、生きていく上でも重要なことだと思います。

事実、人の気持ちがわかるような人とは、また会いたいと思いますけど、
人の気持ちも考えないような自分勝手な人には、
できればもう会いたくないと思いますもんね。
皆さんも人の気持ちに気付けるような想像力を働かせながら
プレーや審判などをすることをおすすめします。わたしもそんなプレーヤーを目指しています。

ぜひとも、審判だけでなく、企画や運営をする側も含めた、
”相互”関係を大切にして、多くの方が経験して、感じてほしいですね。
そうすれば、ソフトバレーの質はさらに高まり、
満足度の高い、楽しいスポーツに発展していくのではないでしょうか?
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